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| ユーモアを交えながら、軽快な口調で語り、聴衆を魅了した生島さん |
どうも皆さん、おばんでございます。そんな感じでございますが。ただいま、ご紹介を受けました私、が久米宏でございます。(笑)今日は本当に、こちらの町の皆さんが全員来てくださったんじゃないかないうような雰囲気があるぐらいでございます。あいにくの天気で、よっぽど町長の行いが悪いんでしょうか。3日間、雨が降ってたって言うんで、町長、困ったもんじゃないですか。東京はすごいいい天気だったんですよ今日は。今日は鳥海山を眺めようかと思って私もやって来たんですけど、全然見えませんね、今日は。しかも、ちょうどこちらの会館に着いた時にはですね、駐車場には車がですね5台くらいしかいなくて、「今日、人来んだべが」とか、私思ってしまいました。まあ、数えてみましたら、今日も3万人は来てるような雰囲気でございますね。ありがたい限りでございます。
今日はこれから、私もせっかくさっき、おいしいきりたんぽをいただきました。うまかったですね、あれ。2杯食べちゃいました、きりたんぽ。明日、全国の皆さんに宣伝しますから、ひとつラジオも聞いてやってください。よろしくお願いします。ちなみに、秋田放送さんで、「おはよう一直線」、5時半から毎朝やってますけど、聞いている方どのくらいいらっしゃいますか。結構聞いてるような、聞いていないような…。なんか、こんな感じになっている人もいますけども。毎朝やってますんで、できれば聞いていただきたいと思いますね。 私も鳥海町は初めてでございまして、まあ、秋田は時々。秋田の町に温泉付きの30階ぐらいの高層マンションをいま建築中なんです。知ってます? 元の木内デパートのあたり。そこに私の大きな写真が載ってるんですよ。皆さんちょっと余裕がある人は、あそこのマンション買ってけない? 30階ぐらいで屋上の所に温泉付いてるんですから、全部眺められるんですよ。あれはなかなかの発想でね。いま、東京でも温泉付きのマンションがはやっているらしいですけど。秋田にもついにできたかと思ってね。あれ売れないと私の責任になってしまいますから、ちょっと皆さんに宣伝していただきたいと思います。
今日は「キャスターとして、親として」ということですが、皆さん気楽にですね、マイクが時々切れちゃいますけど、大丈夫ですか? 聞こえなかったらまた最初からやり直しますから、ひとつよろしくお願いします。
家のお袋も気仙沼に住んでいるんですよ、まだ。宮城県の。何かお袋みたいな人が座ってる。どうもお母さんありがとうございます。今日はどちらからいらっしゃいました?
(婦人)「郷具から」 私言われても全然分かりませんけど、ここから近いんでしょうね。
(婦人)「はい。40分ぐらいかかります」 わあ、そんな遠いところから今日は歩いてきたんですか。
(婦人)「はい」 雨の中をありがとうございます。どうですか、生ヒロシは?
(婦人)「来てもらって良かったと思います」 ありがとうございます。なにかいい男だねって言ってくれるんだと思ったら、お母さんありがとうございます。こちらのお母さんはどちらから。
(婦人2)「猿倉」 猿がたくさんいたんですか、そこは。
(婦人2)「そう」 何分ぐらいかかりますか。
(婦人2)「15分ぐらい」 雨の中…。
(婦人2)「鳥海荘とかありますすぐ近くです」 そうですか。このあたり、特養ホームは近くにあるんですか、特養ホーム。あそこちょっと顔出すんです。ええ、行って来ますからね。お母さんどうも。どこから来ました?
(婦人3)「鳥海から」 鳥海からね。鳥海ですよね。いつもラジオ聞いててくれます?
(婦人3)「いや、あいにく聞いてないです」 あいにく聞いてない、あらまあ。でも、よく今日来てくれましたね、天気悪いのに。
(婦人3)「ええ、もう待ちに待って楽しみにしてきました」 ありがとうございます。ぼくと同じくらですかね、お歳は多分。ちょうど同じくらいの世代ですね。今日はお父さん、どうも、何か胸にバッチ付けてますね、岩原郁夫さん。岩原さんは何してるんですか、こちらでは。
(男性1)「石垣ですよ」 石垣。何してるのかって、石垣作ってるんですか。間違った、石垣さんが本名ですね。石垣さんは何してるんですか。
(石垣さん)「いや、いまはもう年金生活です」 いいですよね、先輩世代はちゃんと年金が出ますから。私たちの世代は分かりません。だんだん減っていきますからね。こちらの方はメモまで取ろうとして。学校の先生ですか、こんにちは。
(男性2)「会社です」 そうですか、どうもありがとうございます。いろいろな方に来ていただきまして、来て良かったなと。皆さんやっぱり秋田おばこで、みんなきれいな人とか昔きれいだった人とか、本当に今日は幸せです。 あらまあ、こちらも若い夫婦。夫婦ですか。おなかに赤ちゃん、何カ月ですか。
(奥さん)「6カ月です」 みなさん幸せだね、拍手をお願いします。旦那さんですか、なんか若いね。高校生かと思ってしまいましたけれども。おいくつぐらい?
(旦那さん)「29です」 本当若い、奥さんは?
(奥さん)「34です」 奥さんが年上なんだ。正直な人で、きれいな奥さんですね。初めてのお子さん?
(奥さん)「違います」 10人目?
(奥さん)「3人目です」 頑張ってますね。いま、少子化だから、3人作ってくれるとうれしいですけどね。なんか皆さん、秋田こまち。
そういえば秋田出身の有名な俳優さん、柳葉さん。よく、アッ子さんのパーティーで会うんですよ。もう、柳葉さん酒癖が悪くてね。飲むとすごいんだけれど、柳葉さんもいま秋田に来てるんじゃないですか。なんかねー、供は秋田で育てたいとか言ってましたけどもね。鳥海の人に聞いても分からないような感じがしますけれども、ということで本当に天気が悪い中、多くの人に来ていただいて、もう感謝感激でございます。最後までよろしくお願いいたします。
去年は伊奈かっぺいさんだったそうでございますけども、今年は私でございます。来年は料理の服部幸雄さんでも呼んではどうかなと思いますけども。今日は、後ほど終わってから、本も何冊か出してますので「サイン会」を記念にさせていたきます。まあ、2冊を購入すると安くなるとかいろんなのがあるんですけども、今日の記念にお土産代わりにどうでしょうか。
さて、「キャスターとして、親として」ということですが、私の場合、いまラジオが中心ですけれども、朝、東京ですと、朝5時から6時30分まで放送しております。毎朝そうですね、4時ごろ起きてスタジオに入って、ダーンとやるんですけど、非常にラジオの番組がおもしろくてですね、言いたいことが言えるもんですから、聞いてる人はよくお分かりだと思いますけども。特に、健康のお話だとかね、それから政治の話なんかも。最近やはり北朝鮮の問題とかありますので、やってますけれども、テレビと違って本当に伸び伸び言いたいこと言ってると、去年も実は、ちょっとテレビの、朝と同じぐらいの時間帯で毎朝時々という話もちらっとあったんですけど、私はラジオのほうがいいからと言ってお断りしまして。当分テレビのほうは週に1回ぐらい、そういう情報番組がやれればいいなと思ってますけど、とにかくラジオはですね、全国行っても本当に多くの方が来てくださいまして。なんかこう、かえって自分もラジオが肩の力が抜けて言いたいこと言えるという部分では気に入ってます。確かにテレビのほうが目立つんですけど、ラジオの良さっていうのはたまらなくいいなと思いまして。ぼくは大変いま好きなんです。だから全国、いま講演は本当に多いんですけども、各会場に毎回いろんな多くの方に来ていただきまして、やはり自分の居場所を見つけられたという、非常に幸せななふうに思っております。
しゃべり手として、もうアナウンサーになってから20何年たつんですども、そもそもですね、私も本当に気仙沼と宮城県のちょうど反対なんですけども、気仙沼で生まれまして。思いっ切りなまってまして、でもさっき、トイレで用をたしてたら携帯電話持っている人が入ってきてですね、携帯電話でしゃっべってるんですけど、私本当に一言も分かりませんでした。東北弁はみんな分かるのかと思ったら、ちょっと微妙に違うんですねー。秋田の人が私にしゃべってくれているのは分かるんです。だけど、秋田の人同士が携帯電話でしゃっべっていると全然なんだか分からなくて。「何言ってるんだべが」という感じになって、そういう意味で、私もなまっていたんですけど。しかも、きれいな人とか、かわいい女の子とか学校にいるじゃないですか。小学校とか中学校のころ、全然話せなかったですから。しかも教室なんかで「はい、この問題は生島君」とか言われるじゃないですか、全然だめ。もう席立ったけで真っ赤になっちゃって、本当に分からないもんです。人前でしゃべることが嫌で嫌でね。よく小学校のころとか中学校の頃ころかっていうのは、みんなの前でしゃべんなきゃいけないじゃないですか。その時なんかですね、前の晩からドキドキして話せなかったんですよ。それがいま、人がいればいるほど盛り上がるということで。今日もざっと数えて、さっき3万人と言いましたけど。よく数えてみましたらねえ3万3千333人ぐらい来ていますけど、人がいればいるほどうれしくなっちゃうんです。ですから、ぼく思うんですけど、今日学校の先生来ていらっしゃてるかどうか分からないんですけども、お子さんとかお孫さんとかですね、大人になってもみんなの前でしゃべんなきゃならないっていう人がいるかもしれませんが、そういう時はこれダメだとか、苦手だとかと思わないことが重要ですね。何かのきっかけで、ガラリと変わるということもあるわけなんです。
やはり分かんないですよ。いまさっきインタビューさせていただいた秋田美人のね、いま6カ月ということですけど、いま子育てが大変なところだと思いますけど、お子さんはね、必ずいい所があるんですね。苦手なところを克服しなきゃいけないんですけど、やはりいい所を伸ばしてやる。ぼくなんか、時々子供のことをしかったりもしますよ。しかったりもしますけれど、必ず褒める。いいところを褒める。苦手な所は、やはり適当にやれって言うことです。苦手なところは、うまい具合にこう、外堀を埋めるようにして、いいところをできるだけ見つけ出してあげる。だから、親もそうですし、学校の先生もそうですけど、会社の上司もそうですけど。育てなきゃいけない人間のいいとこをうまく、どうやって引き出してあげるか。可能性を見い出してあげるのかが、ぼくはやはりいい親だと思いますし、いい教育者だと思うんです。
これは重箱の隅ようなことばかりやっちゃうとだめなんです。確かに、家の長男坊なんかは、ちょっと時間的にもだらしなくて、汚いんですよ、部屋なんかもね。だからそういう時は、きちっと事前に逆算して、この日がきちっと綺麗にしなきゃいけないとか、逆算してやってけとかちゃんと言ってるんですけどね。なかなかいいようになりませんけど。たまにやる気になっている時は、思いっきり褒めてあげるんですよ。「おお、立派になった」ってね。そうすると本人はやる気になってくる。いま二人とも海外に行ってるんですけど、学校の成績なかなか悪かったんですね。イギリスに行ってたんですが、いまはアメリカに移って。今度、成績悪かったら帰らせないとかね。親に反抗ばっかりしたんで、じゃあこの夏休み、冬休みも家も金ないんで帰ってくんなって言ったんですよ。そしたらね、成績が良かったらクリスマスプレゼントだったらね、ぼくは思いっ切り頑張っちゃって、いままでで過去最高に頑張ったんですよ。人間っていうのは、うまくアメとムチを使うといいですね。やはりたたいて分かるとだめですしね。そのへんの塩梅というか、さじ加減。これをうまくやれるかどうかです。しかも、感情的にならずに長い目で見ながら。時には感情的になってもいいんですが、自分が悪かったら、ぼくは親としてもすぐ謝ります。そのへんはうまくやってるつもりなんですけど、そういう点では、一番大切なことは、子供のころは抱きしめてあげる。抱きしめる教育というのはすごく重要だと思います。これはホールディングって言うんですけど、とにかく抱きしめてあげて、ぬくもりを伝える。ただ、それだけじゃだめなんですね。
例えば、だんだん中学とか高校になってきて、世の中が見えてきて、子供たちがなんでも自分たちの考えがすごいんだとか、自分がこの世の中を引っ張っていくんだみたいな気持ちになってきて、もう親なんて、大人なんて、みたいな時があるじゃないですか。反抗期の時。そういう時は、もう1回しつけ直すんですね。これは、限界提示っていうんですが、これはやってもいい、これはやってはだめだということを、もう1回お父さんがいるところはお父さんがびしっと。お母さんが強いところは、お母さんがびしっととやって、もう1回しつけ直すと。そして、あらためて人間関係を見直すということ。まぁ本当にわが家も、とっ組み合いも何回かしましたよ、家の息子と嫌ですけどね。だけど、もう親は一生懸命体張って、その子供をいい方向に持っていこうということは伝わってるし、愛情の深さは伝わってるんですけど、時々ね。下の子はそうでもないけど、上の子はキレちゃうんです、本当に。あれは困ったもんですけどね。いまはお陰さまで、お互いにぶつかり合いの中でだんだんいい関係になってきました。子育てっていうのはなかなか一筋縄にいかない。大変です。親の思いがなかなか子供になかなか伝わらなかったりもするんですけど、その辺を書いたのが今日1冊持って参りまして、『堂々家族主義』ということで、やっぱりこの家族を守ること、子供に対するどのようにやっていったらいいか。悩みながら書いた本でございます。
3つ目は18歳ぐらい、18とか20歳の時に、親離れ、子離れの時期をちゃんと作らないといけないと思うんですよ。日本はついつい、いま経済的にも厳しいから親の家にずーっといくつになっても、なんていうんですか、いわゆる寄生虫、パラサイトなんて言葉も出ましたけれども、ずっと親にすがりついちゃっている子供も多いんですが、これはいけないと思うんです。ある程度の年齢になったらば、とにかく親元を離れて自分できちっと生活させるということが重要だと思います。この3つをきちっと踏まえていけば、今度は介護の問題とか出てくるわけですけど、そのときもきちっとしたで親に対しての対応をしてくれると思うんです。
ぼくもいろんな人を見ましたけど、いま家の友達で、介護が大変なところにいるんですけど、まあ、お母さんもお母さんだというとこもあるんですけど、子供も子供で、その息子は会社時代の友達なんですけど、ホームに預けっぱなしで全然面倒を見ないんですよ。しかも、お母さんもわがまま放題に生きてきたんですから、施設の中に入ってもルールも守らないんです。一日に50何回も電話してくるんですって、家に。会社にも電話しちゃうんです。アルツハイマー入ってるんですけど、もう会議の最中に会社に電話して「すいません、何とかの母ですけども、いまちょっと緊急あるんで、緊急の用事がありますから、すぐ電話するように言って下さい」とか、会社中で評判になっちゃって。またあの人のお母さんよなんて。もう大変ですよ。もう一家が悲惨な状態になりそう。家も『おばあちゃんがこわれちゃった』って本を書いたんですが、介護で苦労している人はたくさんいますね。わが家の場合は、いま介護の状況というのは9年目で、ボケ始めて7年か、7年目です。7年目ですけれども、うまい具合に最初のころは、あの義理の姉貴と家のかみさんがもめてしまったりとかしてたんです。だけども、いいヘルパーさんが来てくれて、ヘルパーさんも20人目ですからね。変わって変わって、まあ、あの人ヤダ、あの人ヤダっていつも文句ばっかり言ってね。自分が置き忘れたのに、あのヘルパーさんが私の財布を取ったとか、へそくり取ったとかね。もうめちゃくちゃな状態です。一時は、下着に全部に名前書いたりて。なぜかというと、家のお父ちゃんが愛人の家に私の下着を持っていくとかなんてね。幼稚園児じゃないんだからって言ったんですけど、そんなことがあったりして。家の義理の母なんかもう、夜も寝ないで昼寝して、人がいると生活音があると落ち着くんですけど、やっぱり夜になると、すごい寂しくて不安になるのね、痴ほうの人は。そこで夜になっちゃうと大変な状況で大声出して、みんなだれも寝られなくなって、てんやわんやになりました。だけど、お陰さまでいい介護が進んできましたので、いまは施設にも預けないで、自分の家で面倒見てるんです。やはり、車いす状態で要介護は困難なんですけども、家のかみさんは嫌な別れ方をしたくないから何でもわがままを聞いてやっるっていますけども、頭が下がります。最近は自分の母親だけじゃなくて、近所のホームに行って、ホームヘルパーをやったりなんかしているんです。一生懸命介護をすると、いろんなお年寄りから感謝されて、それがうれしいと。本当にお金の上ではならないんですけどね。腰が痛い腰が痛いってぎっくり腰に何度もなりかかりまして、そのたびに病院に連れて行ったりとかです、マッサージをしてきてもらうと、給料の倍ぐらい飛んじゃうんです、彼女の。だけど、それがやっぱり彼女の生きがいになってますから、ちゃんと家の子供たちも子供のころから介護する姿を見せてますから、お年寄りに対してとか、車いすの人に対してとか、痴ほうの人に対しても非常にいい形で付き合ってくれる。こういう事を見せるって言うか、親がやっぱり背中をきちっと見せるっていうことが大切かなっていうふうに思ってるんです。私の場合ですけども、さっきしゃべるのが苦手って言いましたけれども、家の親は本当にそういう意味ではあんまり干渉もしないで、いい教育をしてくれたと思います。ぼくもおやじからあまり怒られたこともなかったですけど、ただ兄弟けんかをしてですね、下の子をいじめてると、そのときだけはすごい怒られました。上はきちっと下の面倒を見るのが当たり前だと。ぼくは長男でしたから。その時にしかられた時はありますけど、あとは勉強しろとも言われませんでしたし、ただいつもこう希望を与えると言いますか、ぼくは海がすぐそばですから、暇があると、夕暮れ時に海に向かって石を投げたりするのが好きだったんです。その時におやじが来てくれまして、この海の先にはハワイがあるんだ、アメリカがあるんだって言ってね。将来は海外で暮らしてもいいぞっていうことを言ってくれたんです。だからなんかこう、家のおやじはあまり余計なことは言いませんでしたけれど、常に子供に夢を与える、希望を与えるっていうことがあったと思うんです。 なんでもそうですけども、小泉さんの改革も痛みを伴う改革って言ってましたけれど、痛みの先に希望とか虹が見えるんだったらいいんですよ。でも、それがどうなっちゃうのか。いま、みんながこう気持ちがどんどん落ち込むような状況になってますから、これは良くないなというふうに思います。やはりぼくなんか、本当に貧乏で育ちましたので、多少のことは耐えられるというふうには頑張ってますけども、やはりひとつには家のおばあちゃんがですね、「為せば成る、為さねば成らぬ何事も」ということを二言目には言ってくれました。おやじはいつも、「アメリカはいいぞ、ヨーロッパはいいぞ、ブラジルはいいぞ。海外に行け」とか、いつも言ってくれました。なんかこう、希望って言いますか、夢が常にありましたね。ぼくも子供のころには、歌手になりたいとか、野球選手になりたいとか思ってましたから、そういう点では生島家が与えてくれた財産というのは、お金がなかったこと。これははっきり言って財産だったと思います。子供のころから恵まれていたら、いまみたいに頑張れなかったと思います。
二つ目は、やはりどういう状況にあっても夢を捨てないこと。希望を追いかけるということを教えてくれたのはわが家だったと思います。そしてどんな時も打たれ強く、決してあきらめい。こういうことも教えてくれたような気がします。そして高校卒業後は、地元の市役所か電工社か東北電力かNTTですね。いまの電々公社に勤めろと、家のおばあちゃんが言ってまして。
なんでかって言うと、やはり、明治38年生まれでしたから、激動の時代を乗り切ってますんで、なにより安定した生活をというふうに思ってましたんでね。家はおばあちゃんと母親が食堂をしてまして、「伊勢浜食堂」っていってたんですけど、3つぐらいしかテーブルがありませんで、10人も入ればいっぱいになっちゃうような狭い店だったんですけども、結婚して奥さんにねぇ、食堂やらせて2つ収入があればいいでしょう、なんて言ってたんですね。家のおやじがやっぱりこれからね、ちょっと気仙沼の町だけじゃなくて、海外にも目を向けろって言われまして。高校3年の秋から、受験勉強しろって言われまして。私、慌てて受験勉強しました。数学とか理科が全然だめなもんですから、私立の文系を何とか受けまして、いくつか受けまして、引っかかったのは法政大学に何とか引っかかりました。その時に親に言ったのは、弟が17離れていたんですね。4人兄弟の長男で、もう新しい弟ができてしまって、育てるのも大変なのにと思ってしまったんですけど、だから、親の気持ちや財布の中身が大体分かってましたから仕送りはいらないからと言って、私は大学は全部、自分のアルバイトで行くから心配しないでって言ったんですよ。なんと親孝行な、息子だったのかと、自分で自分を褒めてあげたいと思いますけど。 全部バイトで行きまして。東京の最初に住んでたところは、東京北区に十条という町があるんですよ、十条という。十条という場所に住んだんですけど、私の住んだ部屋は三畳間だったんです。十条なのに三畳間とは、これ遺憾でございましたけれども。これは、一カ月の家賃が4000円でございました。それで、皿洗いのアルバイトを最初やりました。120円の時給のアルバイトで、学生服着て、下駄履いて学校行ってました。本当に田舎者でしたね。だけど、東京の町に行けたから、とてもうれしかったのと、親元離れて自分で暮らし始めて、何かとっても新しい環境が楽しかったです。たまたま一緒に住んでたアパート、下宿なんですけども、そこに学生運動やってる人がいましてね。日本を変えようと、みんなこんなに不平等な社会はおかしいと、みんなが平等で暮らせる社会にしましょう、というそんな人がおりまして。影響を受けまして。その本道に入って行くんですけど、しばらくしたら挫折をしてしまいました。人間っていうのは、言ってることと、やってることとが一緒になって始めて本物じゃないですか、ところがなかなか思うようにいかない。私は自分で結局だめだなと思って落ち込んでしまうんですけど。それから本当に自分自身が情けなくなって、ずっと正直に生きてきたと思ったんですけども。自分で自身にうそを付いてしまったことがとっても辛くてですね。結局のところは落ち込んでしまったんです。このままじゃやだなって思ってました。何かこう、張りがなくてね。 その時に、ぼくはずっと空手の同好会にも入ってましたから、空手の先生がアメリカに行って、日本の空手を広めよう、手伝ってくれっと言われて。急にアメリカ、ぼくがですか、空手を広める、わぁっと思いましてね。急に希望が見えてきたんですね。じゃあやりましょうって、急にやる気になりまして、一生懸命空手もやって、アルバイトもして、お金もためてました。だけどぼくは、何か、やはり学生運動の挫折があったもんですから、やはりこれは自分の力で行ってみようってことで、その先生にお断りして、たった一人でアメリカに行って試してみたいということにしました。
昭和46年。まだ生まれてない方もたくさんいらしゃるでしょうしね。そのころ、あのころは若かったという方もいらっしゃるかもしれませんけど、昭和46年にですね、たった一人で片道切符でハワイに行くことにしたんです。今日も飛行機、全日空で乗ってきましたけれどね、飛行機に乗ったの始めてだったんです。20歳の時に。シートベルトの締め方知らなくて、だって結んじゃったりしちゃったりなんかしちゃたりしてね、本当に。いまはトイレも明るいですけど、あのころ、外国の飛行機なんていうのはですね、ドアを閉めないとピッと明かりが付かないから真っ暗なんですね。夜の便なんかで、ぼく入ったんですけど、あの時にもう、トイレのドアどうやってスイッチなんだ、スイッチなんかないじゃないですか。鍵かければスイッチ付くのに分からなくて、鍵がないとか、明かりないとかって思ったりして。開けながら用足してたりなんかしてね。それで、ドア引っ張られちゃったりなんかして、とっても恥ずかしいことがあったんですけど、でも本当にそういうことでついにアメリカに行っちゃいました。気仙沼行ったんですけど、お袋はもう泣いてね。でも太ってたもんですから、京塚まさこさんみたいにね、太ってたんですよ。だから、一番下の弟が生まれる三日前に病院に入ったんですけど、その三日前まで私、妊娠してるの知らなかったんですから。そのぐらいしょっちゅう太ってたんですよね。いつもエプロンかけて、仕事してましたから。結局のところはお袋にちゃんと話ましてですね、ぼくは親の側にいて親孝行するのも親孝行だけれどね、たった一人で自立して暮らしていく。これもやはり、将来ずっと親の側にいられないんだから、子供がちゃんと巣立っていく姿を見てくれということで説得しましてね。親父が「行ってこい」って言ってくれました。これはもう大変うれしかったですね。
それで、片道切符でハワイに着くんですけどね、着いてからが大変。それから4年間アメリカの生活あるんですけどね、もう空港にはだれの迎えもないんですよ、右も左も分かんないですから、言葉だって。いま、みんな結構ハワイに行って、ハワイとか行ったことある人いますよね。いまの時代はだいたい大体行くようになってたんですけど、いまみたいに簡単に行ける時代じゃないからね、うん。だからもう、どうしようかと思ってねえ。泊まるところもないんですから。それで、なんとか日本人を見つけて教えてもらって、一番安いところ紹介してもらって行きました。それで、仕事探そうにもですね、今度仕事するには労働許可証ってのがいるんですよ。これもらうためには学校行かなきゃいけない。それで、学校行こうと思ったんだけれど、授業料が高すぎて入れない。これでもう八方ふさがり社会になってしまって、このまま帰るしかないなと思ってたらです、日本航空に勤めてるっていう男の人がいて、「君、なかなか偉いじゃないか。たいしたもんだ」とか言ってくれてね。「よし。でも、ハワイは仕事するのも大変だから、ぼくと一緒にサンフランシスコに行こう」って言ってくれたんですよ。「この人素晴らしい」とかって。「面倒見てくれるんですか」「おぉ、いいよ。来い」っとか。その人に誘われてサンフランシスコに一緒に行ったんです。だけど思いましたけど、ハワイではみんなこう、のんびりバカンスに来るわけですから、休暇を取って。みんな楽しそうにしているんですけどね。ぼくはあの時本当につくづく差を感じましたね。いろんな人も、そんなにたくさん来てませんでしたけれどもあのころは。でも何か楽しそうにやっているおぼっちゃまとか結構いてね。ああ、やっぱり人生はみんなこう同じ年に生まれれば、スタート地点が同じだと思ったら、やっぱり違うんだなという事を体で覚えましたね。その後、私はサンフランシスコに行きました。その穏やかそうな日本国の人がですね、なんか飛行機の中で私が隣の外人に話しかけられるとですね、すごい怒ったりとかねえ、だんだん雰囲気が変わってくるんですよ。それで、サンフランシスコのホテルに着いたら、もう部屋ちょっと入ったとたんに怒鳴っちゃう。
サンフランシスコに子供も一緒に行ったら怖いと思います。しかもその人、旅の疲れからか寝込んじゃったんです。寝込んじゃった時にカバンを見たら、カバンの中に、白いこう、粉が入ってるんですよ、麻薬みたいな。もう恐くなっちゃって、それでもう、どうしようかと思った時にですね。もうこれはこの人にずっとくっついてたら大変だと。何か、もしかすると、その暴力団とかそういう関係かもしんないと思いまして、怖くくなりまして、荷物まとめて抜き足、差し足、忍び足でエレベーターまで行って、下まで降りて逃げたんですよ。もう怖かったですよ、あの時は。幸いにその人寝っぱなしだったんで良かったですけど、ホテルのフロント行って、私の友達は寝てます、私行きます、半分払います、バイバイ。英語で何か、ちんぷんかんぷんで、よく通じないから、プレーイング、スリーピング、バイバイ。ハーフ、ハーフ。とか言って、そんな英語だったんですから、20歳の時は。それで自分でバス停まで行って、自分で空港行きのバス見つけて、その日のうちにロサンゼルスまで行ったんですよ。人間っていうのはやっぱり追いつめらたら何とか頑張れるもんですよ、一人でも。
それで、そのままロスに行きました。でロサンゼルスには何がいたかって言うと。私の知り合いの知り合いの知り合いっていう、あかの他人が住んでたんですね。だから、行ったって面倒見てくんないわけですよ、これは。だけど、そのうちの一人がですね、「もうしょうがないな、じゃあ来なさいよって」言って呼んでくれまして、そこからロサンゼルスの生活が始まりました。だけど結局、その人の家に住み込みができませんで、なんかアパートに日本人が借りてる人がいたんで、そこに一部屋っていうか、床に寝たんですけど、そこで仕事を探しました。
それでやっと見つかった仕事は、空手のショーに出るということ、空手を教える。その時の私の財布の中には、いくらあったでしょう。どうぞ答えて頂きますいただきます。答えていただいた方には、この『堂々家族主義』これを。あの、大分好評発売されているんですけど、これを差し上げたいと思います。さあ、いくらだったでしょう。はいどうぞ。
(会場から)「4000円」 いくらなんでしょうね。ドルで答えていただきたい、ドルで。あのころはまだ300ね、60円。崩れ始めて、まあ300として計算していただければいいと思います。はい、どうぞ。
(会場から)「15ドル」 う〜ん、もうちょっとありました。さあ、次の方どうぞ。はいどうぞ。えっ、30ドルと答えた方、正解でございます。はい拍手。どなたが答えてくれたんですか。あ、どうぞお母さんこっちへ来てください。やりましたね。あのマジックがあれば、マジックが欲しいんでございますけれども、係の方。マジック担当の方いませんかね。マジックありますか。マジック。いやあ、お母さんどうぞ、上がってくださいよ、こちらにね。いまマジック持ってきますから。いやあ、人生何があるか分かりませんよ。まさかまさかの連続。お母さん、お名前は。
(婦人)「今野むつこです」 むっちゃんですか。どうもありがとうございます。むっちゃん、どっから来ました?
(今野さん)「ジネゴです」 ジネゴからねえ。どういう字書くんですか、ジネゴって。
(今野さん)「笹・子って書くんです」 笹子って書いてジネゴって読むの? 今日はどうですか、ヒロシちゃんに会えて。
(今野さん)「うれしいです」 すいません、マイク反対ですか。すいませんね。お名前はむっちゃんね。あ、これうちのマネージャー、とどまつ君です。書きましたよ、ジャーン。むっちゃんに当たってしまいましたねー。しかったですね。先だったんですけどね。まあ、本当に、と言うことは1万円ぐらいしか、まあ1万円とか2万円ぐらいだったと思います。とにかくお金がなくなりましてね。もうギリギリだったんですね。やはり思いましたけどね、人間っていうのは追いつめられると弱いですね。私はその時ね、つくづく自分が、なんでこんなに気が弱いんだろうと。と同時にですね、やはりもう厳しい状況になるとどんどん悪いこと考えるんですね。大体、日本人っていうのは生真面目だから、少し大変になっちゃうとどんどん、頭いいもんだから、悪いこと悪いこと、悪い風に考えますけどね。でもね、あきらめちゃいけないと思いましたね。その時にぼくは、結局のところはやっと仕事見つかって、そっからまたガラリと展開が変わるんですけども、やはり追いつめられちゃうと人間はですね、あとこれ以上下がれないと思うと何でもやりますね。極端な話、お金追いつめられてですね。この前事件がありましたよね、武富士の事件。あの秋田でしたっけあれは。青森か、青森でしたっけ。結局、人間まで殺したりとか、お金のためにいろんな問題が起きたりもするもんですから、やはり追いつめられても良い方向に考えれば絶対に逆転できるんですよね。私の知り合いの女優さんで、斉藤慶子さんって知ってます? 斉藤慶子さん、あの人偉いんですよ。熊本出身でね。お父さん、早く亡くされて女手一つで育てられましたから、すごい気配りできる女優さんで。しかも、彼女が出会った人っていうのはですね、川口さんっていう人なんですけど、この人は大分の人でね、なかなか面倒見のいい人なんですよ、優しくてね。でもね、この人すごいんですよ、借金が。83億もあるんですよ。こんなに言っちゃってあれなんですけど、83億あんのに斉藤慶子さん別、れなかったですよ。通常そんな、付き合っている人とは、旦那さんがそんな借金背負ったら普通は離れますよ。あの人偉いんだね、その旦那さんにくっついて。いまも一緒に暮らしているんですけど、私もその人知り合いでね、おもしろいんですよ。借金私よりたくさんあるのに、運転手さん付きのハイヤー乗っちゃってね。どうなっているんだ、君はっていう感じですけど。借金減ったのって言ったら。「うん、お陰様で30億に減りました」って言うんですよ。53億も返したのって言ったら、「まあ」とかって言うからねえ。これは大したもんだな思ったら、お金を貸してくれた人がほとんどつぶれちゃって、結局払わなくても良くなっちゃったんですよ。何か知らないけどついてるんですよ、その人は。だけどね、いまだって30億。いま、ぼく83億って言ってたけど。いやいや30億ですからって言うんですけど。もう30億に減りましたからって言っているんですけど、それでもいつもにこにこ笑顔なんですね。それでね、最近、健康食品で当たっちゃってね。よく週間女性とか見ると、美川憲一さんと斉藤こず恵さんなんかやっているじゃないですか。ダイエットのテレビなんかでも時々ね。あれ用の基本的に仕掛け人なんですよ。だから粘りますね、やりますね。もう、あきらめない、最後まで。それ以外にも、ちょっともうかってきたIT関係だとかってね。またIT関係だよって、本人何もITなんて分からないんですから。ITをイットと呼んでた森総理と同じようなもんですよ。それなのに手出しちゃって、これまた失敗しちゃってるみたいですねいま。余計なこと言ってしまいましたけれども、だけどね、前向きなんですよ、いくつになっても。このあたりに慶子ちゃんも好かれている、ひかれているかもしれないですけどね。でも、やっぱり普通ね、ちょっと借金しちゃったからって殺人まで犯す人もいますけど、30億から本当は83億ですよ。83億も借金あってね、こんなにニコニコ笑いながらやっているんですから。あきらめないっていうことは重要だと思いますよ、皆さん。これはもう、何か困ったことがあると、あの人の顔思い出すんですよ。あんなに借金抱えても、あんな笑って生きてるんだからと思ってね。ぼくはお金に困ってですね、本当に大変な犯罪を犯したりする人にみんな紹介したいですね、川口さんを。思い止まって、前向きに自己破産してから、一つやってみるかと。自己破産しちゃってまたやればいいんですよ、また。自己破産勧めているみたいですけど。別に勧めているわけでないですけど、死ぬよりいいと思いますよ。せっかく命授かったんですから。だから、そういう意味では追いつめられた危機っていうのは味あわないと人間だめですけど。
20歳で自分で選んで、やっぱり行ってみて本当に大変だと。自分の夢を追いかけたりとか、わが道をゆくっていうことは本当に大変なことだと思います。だけど、その時にぼくははっきり4年間で、鍛えられましたね。うん、すごく鍛えられました。本当に、さっき言ったように、人前で話すことも苦手で、人前で真っ赤になっていたのがそんなことだんだん言ってられなくなっちゃたですよね。人間生きるって、必死なって生きてるっていう人は素晴らしいと思いますね。なりふり構わず、あまりにもひどいことしちゃいけませんけれども。でもやぱりね、ぼくは一生懸命生き抜こうとしている人っていうのは、応援すべきだと思いますよ。だから、そういう点ではぼくはこれからの時代、また教育の話というか大切なことを、キーワードになると思いますけど、ぼくは例えば実家がお金があるとかですね、いい大学出たとか、関係ないですね。これからの時代ですね、いろんな企業だって、いままでは30年続けば立派って言われましたけどね。いま会社もね、東京なんかじゃ3年続けば御の字。3カ月もてば、これまた結構ってぐらいですよ。新しい会社作っても作ってもどんどんつぶれていきますね。だから、アメリカの場合は、つぶれたらまた新しいのやろうということで、やってくれますけど。日本の場合、1回破産しちゃったりとか、つぶしちゃうとレッテル張られちゃって大変なんですけど、アメリカみたいに敗者復活戦があるとすごくいいと思いますね。世の中が、投資できるような人がですね、こういう企業にお金を出してあげる。それ失敗したらばですね、税金控除してですね、またその失敗した人も新たなまた業務を作っていくということで、アメリカは成り立っているんですけど。世もそういうふうにですね、どんどんどんどん敗者復活できるようなシステムになると活力がでるというふうに思うんですね。
それで、ぼくは思うんですけど、やっぱりついつい世間の目なんかも気にしますけど、世間の目を気にしても、世間は何の責任も取ってくれません。東京にいると特に、気が楽だってあるんですけど、有名になっちゃうとまた世間の目が気になったりはします。やっぱりこう世間の目ばかり気にしてしまって、やりたいことをやれないようでは、なんのための人生かなと思ってしまいます。ただ、とても重要なことはですね、やはり自分で努力をするということ。自助努力ですね。二つ目は自主判断。やっぱり自分自身で判断をすると。三つ目はですね、それに対してはきちっとした責任、社会的な責任を持つ。自助努力。自主判断。自己責任。この三つがですね、ぼくはこれからの時代、生き抜いて行くとってもとっても大切な鍵を握る言葉だというふうに思いますね。さすが、真面目に会社員の方メモ取ってますよ。素晴らしい、感動した。拍手をお願いします。
本当にぼくは思います。だから、彼みたいにこのまじめにノート取る方もいれば、聞いて、ははーっと思って終わった後、全部忘れてしまう方もいれば、さまざまだと思うんですけど、だからぼくは、いろんな機会を、機会あるごとにぼくは、やっぱりこうやってこの会場に足を運ぶって、ぼく今日の人は本当に素晴らしいと思うんです。もしかしたら、ぼくだったらですね、「天気悪いからもう家にいてテレビでも見でっぺ」って感じになってるはずなんです。来てくださる、ぼくは本当に感動してますけどね。こうやってですね、実際にじゃあ、生島ヒロシに会ってみようとか、もう聞いてみようとか思って、こういうふうに気持ちがですね、ぼくはこれはすでに人生の勝利者だと思います。ある意味において。こういう前向きな姿勢が大切なんですよね。これは同じように時間は過ぎるんですよ、家の中にいても、鳥海町の中でもね。多分たくさんいると思いますよ。でも、こうやって来てくださる方の生き方の姿勢が素晴らしいじゃないですか。ぼくはやっぱりね、これはすごいと思う。とっても重要だと思いますよ。あの、柳生一族の家訓っていうのがあるんですね。聞いてカックンと来ないでいただきたいんでございますけども。
『小才は…』これまたノート取るところですよ、先生。小さな才能ね、小さな才能。『小才は縁に出会って縁と思わず』。小さな才能しかない人は、素晴らしい出会いとかチャンスを、そんな大した事ないっぺって思っちゃう。例えば、あの例の島津製作所の田中さんね、ノーベル賞取った。多分、周りにいた人は、よく頑張っているけど、まあ変人だからねえ、大したことないんじゃのと思っていた人もいると思いますよ。結構いろんな有名な大学出た人たくさんいるわけですから、島津製作所は。ところがあの人のやり方が評価されて、急にノーベル賞だって奉られちゃって。それまでみんな、その感じってなかったと思うんですけど、やっぱり見てる人は見てるわけですよね、ちゃんと世界のトップクラスは。普段の日常生活もですね、行動とかばっかりで判断している人は彼を見抜けなかったと思いますよ。それでみんな、やあ、すごいと思ったけど、ノーベル賞まで取る人だとは思わなかった、という人が圧倒的にいるわけですからね。これは、人を見る目というのは養うべきだと思います。よく、当たりのいいのっているじゃないですか。うちの弟なんかそうなんですけど、うちの従業員とかタレントさん、まあタレントさんも何人か抱えてますけどね。もうニコニコ、ニコニコしてるんですよ。本当に人がいいんです、これまた。人がいいんだけどね、ニコニコ、ニコニコしてて、結構忘れるんですよ、いろんなことを。仕事のことを、肝心要のことをきちっと。例えばギャラの交渉してないとか、契約ちゃんとしてなかったとかね。でも、いいです、いいです、って何度も言われる。おお、大丈夫、大丈夫って。あいつの大丈夫ぐらい大丈夫じゃのはないんですから。でも、当たりはいいです。例えば、ぼくなんか自分でテレビに出たり、ラジオに出たり、こうやってしゃべんなきゃいけないから、例えば飛行機の時間が違ってたりとかで、チケットがなくなってしまったりとか、大変迷惑をかけるわけじゃないですか。その分、責任が重いですから。当然のことながら、厳しいチェックをするようになるんですね。だから従業員に対してもですね、すんごい面倒、親分肌ですから、面倒見ますけど、厳しく指導するとこは厳しくするわけですよ。それてどっちがいいか。だってなんかあったらですね、その弟にいったら優しいし、当たりもいいからですね。いい人だ、いい人だっていうんですよ。でもね、本当に会社のこととかその人の能力とか上げようと思っているのはぼくのことのわけなんですよ。でも時々ぼくは、ガツンと言うことは言うわけですよ。言い方が厳しいからとか言われて。でもね、本当に優しい人はどっちか。それはぼくに決まっているわけですよ。だから当たりのいい人っていうのは、結構ほっかぶりしたりしてますからね。なんかあると、うちの弟には散々迷惑かけられたんですから。小難しい問題とか放っぽりぱなしにしたりね、布団かぶって寝ちゃうタイプですから。最後まで全部、尻拭いしなきゃいけないのが私のわけですよ。だけどね、本当の本物の人間とか、本物のこの優しさとかですね、何かというような見る目をですね、皆さんきちっと培っておいてもらわないとね。別に私が弟よりも優れているってこと言いたいわけで言ってるわけじゃないんですけど。
分かりやすい例えで言うとね、やっぱり鬼軍曹と言われるような人がですね、実はとっても素晴らしい部下を伸ばしてくれる上司だったりもするわけですけど。何でも、何か優しい人がいいとかって言いますけど、優しさの裏側にあるものもありますからね。だから、本物を見抜く目とか、そういう物をきちっと持ってかないと、やっぱり嘘つきにしても、国にしてもいかないんじゃないですかねえ。いま、竹中さんとかは頑張って改革しようとしてますけど、ぼくは方向性はいいと思うんですね。やり方の順番とか、いろんな専門家がいろんな提案してますけど、だけどついこの前までですね、ぼくも経済の番組やってましてですね、みんなこれはそのいわゆるハードランディングって言いますか。かなり厳しいショック療法をやらないと日本は立ち直れないって言ってですねえ、つい2年前まではその方向でいいんだってみんな言ってたんですから。ところがこんな状況だから、あまりにもその病状が悪くなってきたから、こんな急激なことやったらだめじゃないかってみんなが反対勢力か抵抗勢力か、みんな、ガーって言い始めたら、竹中さん完全にいま丸損になっちゃってるじゃないですか。竹中さんの言ってることは、本当に1年前、2年目だから1年前ですね、みんなが指示してたんですよ、あれは。それがいまになっちゃうと、こんなになっちゃって、日本人ってやっぱりその場のムードとか、みんなが一緒じゃなきゃだめだっていう感じはありますよね。だけど、ここで確かにもうちょっと財務省とかも協力してね、減税するとか、失敗したらばですね、その分税金で控除できるとかですね、いろんなそういうことを考えてくれればもっとやりやすくなるんですけども。そういことは自分たちのところはですね、おれたちは何もやらないって言っておいてですね、勝手にあいつにじゃあやらしとけって言って、悪者にしちゃえって言って、やってるからね。いつまでたっても直らないですよ、これは。大変厳しいと思いますよ。ですから、そういう意味では小泉さんも、もうちょっと任せたって言ってるんだったら、もうちょっと助けてあげりゃあいいんですけど、かと言って、あのやり方もですね、竹中さんもまあ本当に何か、とっちゃん坊やみたいな顔して結構やってますけど、政治力もないといかんでしょうね、あれは。うまくいろんな強面をですね、懐柔してもっていくっていうこの部分においての人間力みたいなことがどうなのかなと。これも町長さんもいかなる思いで永田町を見てるのかね、興味深いところでございますが。まあでも町長、私がしゃべり始めたら雨上がりましたよ。もうちょっと早く上がってくれれば良かったんだけれども、ずっと雨が降っているのは町長の行いのせいだというふうに私は思いこんでるんですけど。分かりませんけど。
まあでもね、ニコニコした町長でございまして、町長、頑張ってくださいね、本当に。鳥海町のためにね。私は少なくても明日は全国の皆さんに、鳥海の町を宣伝しますからね。温泉があるんですか、ここは。あります? 私温泉入りたいんですよね、温泉大好きだから。どこ行っても、地方に行くとね温泉とその土地の食べ物食べて帰って来るの。だけど何か本当に今日は、温泉行くよりも老人ホームに行ってくださいって言われちゃったんでね。ちょっと悔しいかなと思いながら、やっぱホームはちょっと見てね。温泉、本当は入りたいんですけれども、なかなか難しいかもしれません。あと地元の人と温泉いきなり入ると、みんなびっくりしますよ。もう顔見た後は、すぐなんか下の方見るんですけどね。急に隠したりしちゃったりしてね。まあでも、色んな人に出会えるのはいいんですけれども、そういう意味ではその柳生一族の家訓。まだ詳細まで私聞いてませんけどね。あの、きちっとやっぱりそういうビビビって感じる感覚が必要だと思います。
次は『中才』。中ぐらいの才ですね。『縁に出会って縁を生かせず』。せっかくこうチャンスを与えられてもですね、それを生かせない。野球でもサッカーでも、「よし、お前代わりに打って来い」とかって言われてですね、そこでバーンって打ってくれれば新庄ですよ、ワールドシリーズの最終戦で最後のバッターボックス立って、あんなボール三振。バカじゃないかって思っちゃいますよ、新庄ね。「悔いはありません」とかニコニコ。男をあげろ、新庄とか私は思ったんですけどね。まあ彼は嫌いじゃないんですけど、ああいうところに一発打ってくれると、また株が上がるんですけどね。『中才は縁に出会って縁を生かせず』
もう一つ最後にですね、大きな才能。『大才は袖すり合った縁をも生かす』と。ちょっとした出会いをうまい具合に結婚に結びつけたり、ちょっとした出会いで本当にノーベル賞取ったりとかですね。ちょっとしたことで取れないかもしれないのかもしれないですけど。この鳥海町だって。もしかしたらば、例えば全国がびっくりするような名産を見つけて、もう税収がたくさん入ってくるというようなことだって、考えようによってはできるわけでございますよね。だから、本当にいまやインターネットも発達してますから、この町、秋田だけではなくて、全国に向けて勝負するというようなこともですね、そういう発想をしていくとよろしいんではないかと思います。まあ、柳生一族の家訓というのは、ぼくも時々自分でも、ああ、大才だなと、大きな才があるなと思う時もあれば、やっぱりちっぽけだなと思う時もあったり、結構いろんな人、紹介されても生かし切れないことも多いんで、やっぱり中才かなと思ったりしますけど、自分自身が必死になって、その気になってやればですね、いろんな可能性っていうのは出てくるような気がするんですね。ということで、いろんな場面で、いろんな人との出会いがあったりなんかして、ぼくは助けてもらったりもするわけですけど、その後、空手道場に入りまして、出会いがありまして、いろんな仲間が増えていきました。そして、その関係で今度はディズニーランドホテルでもアルバイトしましてですね、そこでアメリカ人と一緒に仕事しましたけど、そこで覚えたことは何かと言うと、大変でした。
結局のところは、暇になっちゃうとすぐリストラするんですね、アメリカは。一年中。あんなディズニーランドホテルって一流企業ですよ。だけど、一年のうちで、夏は忙しいからたくさん雇う。秋になると暇になってきた、正月まで忙しい、正月明けたらまたすぐリストラする、とかね。一年のうちで雇用調整をたくさんしてるんです。ぼくはそのころは20歳や21ですけど、びっくりしましね。日本だったら、一回ディズニーランドで仕事、雇ってもらえばずっと働けると思うじゃないですか。ところがですね、暇になるとすぐ首切られちゃうんです。これは大変だなと、その時、これは日本にもいつかこういうやり方がやってくるなと、正直言ってあのころ思いました。いままさに日本はそういう国になってきてるわけなんですけどね。
その時思ったのは、これはやっぱりどういう時代が来ても、会社から必要とされるとか、自分でこの商売やったならば、あそこの店は良い店だ、あの人の物なら買おうと思えるような物にしていかなかったならば、生き残れないなというふうに、ぼくはその時思ったんですね。これはね、自分のこの手に職をつけるって言うか、自分の腕を磨いておかなきゃ生き残れない時代が来ると。日本みたいに一回高校出たり、大学出てですね、一つの企業に入ったならばですね、ずっとやれると思っては大間違いなころが来るなと思ったんです、その時。それで、それを心に留めながら先を行かなきゃ行けないんですけど、その後ぼくはアメリカ人の家に住み込みで、お手伝いさんで入りました。こういう仕事はやっぱり安いんですけど、安定してるわけです。住むところはあるしね、食事も出るわけですよ。それで、3カ月間お世話になりました。試験を受けた時にですね、「料理作れますか」って言われたんです。任せて下さい、私は日本で有名な日本食のレストランのオーナーの息子です。10人も入ればいっぱいの食堂でしたけれど、食堂も英語に直すとレストランですから。入ったんですけど、結局3カ月で首になっちゃいました。 その時の3カ月間の思い出。とっても素敵なアメリカ人の家の暮らしを目の当たりにしました。素晴らしい家にしても、生き方にしてもかっこいいですよ、アメリカは。かっこいいなと思いました。でも、その時にですね、手紙を書きまして。日本の親父から手紙が帰ってきましてね。「頑張ってるの」って褒めてもらいました。とってもうれしかったです。それで、そんなことでもないよ、と。親父がまた手紙をくれまして、戦争時代の体験を書いてくれました。戦争時代に大変厳しい中でですね、戦友が次々天国行ってしまう。戦争の無意味さ。そして生き残った複雑な思い。そういうことを綴ってくれました。だから親父は本当にお人好しで、人から頼まれるとノーと言えないタイプでして、いろんな事やってましたけども、まあ、つくづく人はお人好しすぎちゃってどうしようもない親父だなと思ってましたけど。お人好しの意味がその一通の手紙で分かったような気がしました。太平洋を挟んで、親子が本当に理解できた一瞬でした。でも、じゃあ日本に帰ったら一緒にお酒でも飲んで、いろんな話を聞かしてねって書いたんですけど、でもね、皆さん。親孝行したい時に親はなしですね。うん。私が日本に帰った時には、お酒が大好きな父が、お酒が飲めない体になってました。ガンに侵されておりました。本当にいまね、できるだけ後悔しないようにですね、ぼくはもう、一瞬一瞬を大切にして、一期一会という言葉もありますが、出会いを大切にしておりますけど、親父ともうちょっといろんな大人の話をしたかったなというふうに思います。それがとっても、唯一残念ですけどね。
家の親父は53で逝ってしまいましたけど、最近は高齢化社会であります。アナウンサーの大先輩の鈴木健二さん。『気配りのすべて』って本をね、お書きになって。それは気配りが大切ですよと言ってるあの方がですね、ある講演を聴いていたら、親孝行したい時に親はなし。でも最近は、親孝行したくなくても親は長生きなんていってたりしてましてですね。何が気配りなんだ君、とか言ってやりたくなりましたけど。まあ、やっぱりこれはもう半分冗談でおっしゃったんでしょうけども、やはり、段々長生きして、長生きもいいんですよ、元気な長生きならね。やっぱり結構ですね。できればピンピンコロリと逝きたいなと思うんですけど、なかなかそうはいかねくてね。ぼくは足腰が弱くなってきて、寝たきり状態で、介護のために一家中がてんやわんやってたくさんあるわけなんですけど、そういう点ではですね、元気で暮らすということは、とっても本当の意味での長寿社会になっていかないとね。長く生きることを周りも喜んで、言祝(ことほ)んでくれるというような社会でもありたいもんだし、そういう生き方をしたいもんであります。
ですから、親父とは残念ながら後悔が残る別れ方でありましたけれども、そういう習慣があいつの家はなかったんですよね。普通なんか、ぼくが乱れてやるとすぐうるさいとかね、水なんか垂らしながらこう歯を磨いたらすぐ止めたりとかですね。すごいやたら細かい割にはですよ、仏壇だけはきちっとやらなんですよね。「ダメだ、そんなことじゃ」なんてね、いいことが起きない。もう僕、ぼくがいろいろと取材したらですね、お金持ちのお宅っていうのは、成功している人のお宅っていうのは、先祖を大切にしてますね。それで仏壇が立派。わが家の仏壇、ちょっと貧相なんですけど、まあちょっといつも綺麗に磨くんです、私が。あそこの掃除だけは、してくんないんだよね。なんでなんだろうね。本当に何とかしてくれよって言ってるんですけど、これ文句言ってもしょうがないんですけどね。本人がいないのにね。直接言いなさいって言いたくなっちゃいますね。直接言えないからとかそんなことでもないんですけどね。 それでどこまでいきましたっけねえ。仏壇の話までなっちゃって何言ってるんでしょう私はって感じですが。
その後、今度はイチゴ畑でイチゴ摘みやりました。農業。日系人が多いんですけれどね。カリフォルニアとかはやっぱり、イチゴとかやっぱり有名なんですよ。そこでイチゴ摘みやりました。大変でした。足がガタガタになっちゃいましたけど、その時にメキシコ人の不法滞在の外国人労働者と一緒に働きました。彼らも法律を犯してまでもアメリカに行って仕事して、自分の国にお金送ってるんですよ。彼らはやっぱり捕まっちゃうと、強制送還ですからね。でもその人達といて、とっても楽しかったですよ。お互いに、向こうはメキシコ人、こっちは日本でね。町歩いてると結構差別されてね。ジャンプ、ジャンプって言われたりね。お前の目こんな細いじゃないかとかね。つりあがってるとかいろんなこと言われて、人種差別を初めて受けましたね。参りました。やはり日本でもいろいろと現実問題、人種差別がね。だけど差別する心の方が卑しいね、私思います。差別される側に立って、初めて痛みとか嫌な気分だなとか、感じますよ。アメリカに住んでいる日系人の方と、英語ベラベラでもどうしても顔だけは変わらないじゃないですか、日系人の顔。まあ複雑な思いで暮らしている人、多いと思いますよ。ぼくは4年間だけでしたけれども、やはり日本に帰って来て、つくづくいろんな差別はいけないなというふうに思っております。これもやはり相手の立場になって考えるということ、アメリカの1年で学びました。
ですから、日本にいてもいろんなこと勉強はできたと思いますけど、アメリカの1年間でですね、ぼくは本当に生きる上で大切なことを全部学んだような気がいたしました。後は大学に行ったんですけど、大学行きながら、アルバイトしながら、大学行きました。学校の勉強もなかなか追いつかなかったんですけど、頑張っていくうちに段々良い成績になりましてねえ。もう、なんと歴史の授業で私が一番だった。日本語も、日本語っていうか英語もきちっとしゃべれないのに、一番になっちゃったんで、みんながあやしいとかってね。「カンニングだ、カンニングだ」とかってね。ふざけんな、バカヤロウ。違うんだ、お前らとは頭の出来が違うんだ、この野郎って言いたかったんですけど、なかなか英語で言えなくてですね、エヘヘーって笑ってるしかなかった。その時から、きちっと手を挙げて自分の考えを述べると、考えがなかったら質問するということが大切だと思います。必ず手を挙げて質問するようになってからですね、みんな認めてくれて、もう人気者。空手やってたからなおさらね。人気者。日本も国際化が進めば進むほど、日本の古き良き物を大切にする人の方がいいですよ、うん。その人のほうが絶対外国人から受けます。それで、何とかやってきましたんで、一年たってね。ちゃんとしたアメリカの4年生大学に行こうってことで家にいました。自分で庭師の商売始めながら、本当、一生懸命頑張りました。そしたら堂々ですね、優秀成績賞で卒業ですよ、皆さん。やった。拍手がもっとあってもいいんじゃないかと思うんですけど。
某元監督の奥さんのようにですね、有名な大学に行ったとか行かないとかねえ、いましたけど。私の場合は正真正銘、きちっと卒業生リストにも載っております。まあなんでしたならば、町長がね、区役所じゃないや、何て言うんですかこっちだと町役場、町役場を通じて調べていただければ、しっかりと優秀成績で卒業したと。まあ結婚式の時はみんな新郎も新婦も優秀な成績でね、卒業しちゃいますけどね。だから、そりゃー、できるってことですよね。私帰る時に一人でね東海岸全部行ってきました。4年間、本当に最初は右も左も分からなくて、英語も話せなかったのが、4年たったらこんなに変わるんだと、人間っていうのはやはり、その気になれば生まれ変われることができるんだなと。ただ、その変わるためにはかなり厳しい環境の中でね、やらなきゃならないなというふうに思いまして。自己変格と言いますか、自己革命ってのは、その気になればできるなというふうに思いました。まあ、アメリカに残るか、日本に帰るか迷ったんですけど、4年間一度も帰らなかったんで、日本に帰りたくて帰りたくて、帰ってきました。それで試験を受けましたら、何とかTBS合格しまして、TBSの試験の時に私が言ったのは、日本の終身雇用制度は終わりました、言うことを言いました。日本の役員はみんな笑ってました。しかし、あの人たち、私の予想がいま今当たってるっていうことをですね、どう思うでしょうかね。まあ、当たってほしくなかったですけども、そういう時代になってるんです。 二人とも優秀だって学校を卒業してですね、そのまま社会で役立つとは限んないじゃないですか。そういう意味では、常に切磋琢磨して頑張っている人が、最期やっぱり残れる社会になってくるのかなというふうに思います。やる気を起こさせる。それからそう思うと、やる気を起こさせる教育とか、やはりいろんな物を発見できる能力とかですね、そういう教育に変わっていかなきゃいけないんですね。だから、いままでの詰め込み教育が良くないって言ってて、じゃあ、ゆとり教育に変わったら、ゆとり教育じゃ学力が下がるって言って。また詰め込み教育やろうって言ってるじゃないですか。これもおかしいと思うんですね。そういう物じゃないと思うんですね。オール・オア・ナッシングって言うか、詰め込みかゆとりっていうんじゃない教育ってあると思いますよ、ぼくは。もっともっと、やっぱり学ぶことがおもしろいとか、もっともっと自分で調べてやってみようと思うとかね。あと引きこもりとかありますけど、いまアメリカ新しい教育制度が入ってきて、ぼく日本で広めようと思ってるんですけど、インターネットを使って、例えば引きこもりの子供が好きな興味のあることあるじゃないですか。それだけをやらせるんですよ。その好きなことをやるにも、例えば、何が良いかな。私は歌い手になりたいとかっていう人がいるとしますね、引きこもりだけど。引きこもりの歌い手ってあまりいないかもしれませんね。ちょっとあまり例えが良くないですけど。例えば歴史が好きだと。歴史を通じてですね、いろいろ調べていくと言葉も覚えていくし、しかも英語でやるんですね。全部自分で単語調べて。なおかつですね、歴史の中で経済のこととか出てくるわけじゃないですか。で自分の好きなことだったならば、多少興味があるから我慢してやれるじゃないですか。ぼくもアメリカで結構なんとか頑張れたのは、放送が好きだから。例えばその放送の機械をいじったりなんかすることは、興味あるわけですね。それ以外の機械とかはだめなんですけど。だからそういう点では自分の好きなことをアメリカでやれたからおもしろかった。日本大入ったら経済学部とかね、あんまりないじゃないですか選択肢が。経済とか政治だとかね。法学部、商学部とか。おもしろくないじゃないですか、そいういうの。やっぱりもっともっと大学側もね、いろんな細分化してですね、興味に応じたような学部とか学科っていうの作ってあげるべきだと思いますね。アメリカは本当に細かく分かれてますから。ぼくは本当にアメリカ行って良かったと思います。家の下の子なんか、ダンスやってますからね。日本の高校でもすごい、中学、高校とかでも進学校だったんですけど、このまま行けばトップの高校行けるからと言われたけど、つまんないとか言って、好きなことやりたいってダンス行っちゃった。お兄ちゃんの方はですね、俳優なりたいって言ったんですけど、俳優は英語しゃべれないと俳優は無理だって言われて、いま英語ばっかやったら、これまたおもしろいって。高校からですよ。自分のそういう専門にやるとですね、いろんな興味が出てきて、広がるんですね。やっぱりこのあたりは日本の学校の先生って、もっともっと世界をですね、そりゃ学校の先生のほうじゃない、文部省の問題ありますけどね。だから詰め込みした学力かっていうことじゃない選択肢があると思うんです。ぼくは教育ってこれから本当に重要になってくると思いますね。日本の若者はどんどんやる気をなくしてるのは、やっぱり学校がつまんないからですよ。もっともっと魅力あることにする。例えば俺なんか、さっき紹介にありませんでしたけど、オレゴン州の刑務所のですね、死刑囚とか作るじゃないですか、いろいろな物を。それを世界中でいま、販売してね。ジーパンとかもね。彼らは一生懸命、真面目にやってるんですね。そこで稼いだお金をですね、塀の外にいる家族に送ったりしてるんです。そのオレゴン州のやり方で、非行少年がいるっていうんです。その非行少年たちにですね、週1回学校に行かなくてもいいよと。学校行く代わりに、最近スターバックスとっかってあるんですね、コーヒーショップの。有名なアメリカから来たんですけど、スターバックスで全部自分たちでコーヒー作って。それを販売してお金を稼ぐっていうのをやらせるんですよ。それでお店を経営することのおもしろさ。学校では学べないお金を稼ぐことの楽しさみたいなことを、そこ行ってちゃんとやるんですよ。お店もきれいにして、お客さんにきちっと対応して。それで、その日は学校に行かなくてもいいんですよ。こういう発想でね、ぼくは日本はもっともっと教育してくると、伸び伸びした子が出てくると思うんですけど。こういうことをぼくは、もっともっと広めたいというふうに思うんですね。
必ずしも教育っていうのは、学校だけじゃないというふうに思いますね。そういう枠を取り払うということをですね、国も県も市も町もやっていったらですね。そうだ、いろんな選択肢があるんだっていうことがなってくると思いますよ。そういうような判断していくような国になるとね、もっと日本は元気になると思うんですけど。やはり従来の発想にとらわれてるような気がするんですね。
まあ、私は日本に帰ることになりまして、最終試験を受けて、そういうことを言ったんですけど、サラリーマン時代は13年で辞めて、13年経ちまして14年目です。サラリーマン時代、一言で言えば、大変恵まれていました。お給料も安定してました。アルバイトもできました。それで、一言で言うと不満がいっぱい。あれもこれもありたいって言ってもなかなかやれない。それで辞めてやってみるとですね、良い時は良いです。テレビにたくさん出ててね。「最近テレビに出る回数が減りました」ってよく言われるんですけど、そうですねって。昔はムッときてたんですけどね、ラジオやってるんだから、楽しいじゃないかね。しかも、いろんな試験も最近受けまして、ファイナンシャル・プランナーっていう試験も合格しましてね。まあお金のドクターみたいなもんですけど。いろんな資格も取りました。大学の教壇立つようなこともね。そんなこと、やっぱり自分の予想していなかったです。いまはテレビだけではなくてラジオがあったり、講演があったり、本を出したり、学校でやったり、教育関係もやったり、介護の問題やったりとか、何か自分が予想していなかった展開がどんどん広がってきて、すんごくおもしろいですね、一つ一つが。それで、考えてみると子供のころって、じゃあ、そんなにぼくは、何でもかんでもできたかといったらできなかったわけですね。人前出るのも嫌なぐらいだったですから。それやっぱりこうやって50代入って、いろんなことを、人生その気になればできるんだっていうことを、いままさに、ぼくは自分自身で実感してやらさしていただいているわけです。こういうチャンスを与えてくれるっていうことも、とってもありがたいわけで、今回もお呼びいただいて、こういうきっかけができたわけなんですけど。そうなるとねやっぱり人間の可能性ってすごくあると思うんですね。周りがうまく支えて、引き伸ばしてあげれば、そんなにおもしろいことはないと思います。辞めてみて、山あり谷ありで、収入がガクってなくなってしまう。もう、ぼくらの場合はバーンと入る時は入りますけど、仕事なくなっちゃうとゼロになっちゃうでしょ。後、健康損なったらアウトじゃないですか。例の逸見さんには、いろいろお世話になったんですけど、逸見さん、あれだけ人気者になって、ガンで侵されてしまう。われわれ、そうなると一銭も入ってこないわけですよ。だから、すごく自分に対して厳しくなりました。ですから、自己管理もちゃんとするようになりました。一番重要なのは、やはり介護の問題も起きて、自分で努力してもどうしようもないことってあるもんだなと思いましたけれども、いま思うのはですね、やっぱりその気になればできる。その気になってできるためには健康が大切だなということで、さあそれではここで健康の話にいきたいというふうに思いますがね。よろしいでございますでしょうか、皆さん。まずはボケ防止。これからいってみたいと思います。
まあ、皆さん。本当にボケないでいきたいもんですけどね。段々みんな私の周りもあれだけ元気だった人もボケてきたのよ、最近っていうのは聞きます。ボケ防止をするにはどうしたらいいか。脳と指先が直結してるんですね。それで、こう指をちょっと使った体操を。もちろん毎日やってやると、動脈硬化の予防にもなります、これからね。これ毎日50回ぐらいやって下さい。動脈硬化、心臓の病気予防。それから、指をこうやって合わせていただいてですね、これ東大の先生から教わってますから。指回していきますよ。親指から回して下さい。町長、やって下さいよ。町長もね。町長のこの頭の滑り具合いが大体分かりますからね、回り具合が。人差し指どうぞ。人差し指回していきますよ。人差し指回す時は親指もつけてね。人差し指回したら、他の指は全部くっついてますよ。はい中指、どうぞ。なかなか回らなくなってきたね。次は薬指はどうですか。これ薬指。ほら回ってませんよ、皆さん。ちょっと薬指回りにくい人手を挙げてみてください、ちょっとこのまま。かなりいるね。町長大変だわ、これは。鳥海町は、あと5年もするとアルツハイマーだらけになっちゃうかもしれない。薬指は回りにくいんですよ、これは。でもね、皆さんあんまり気にしなくてもいい。私も全然回らなかったから、これ。回りにくいんだっぺ。回りにくい。できる、やったすごい。ボケないでいれるよ、ずっと。これやってくださいね。あと、小指はまあ回りやすいと思いますけどね。あとね、病気防ぐために、ガンとかですね、リュウマチとか、あとそれから白血病とかうまく直している先生いるんですね。これはお隣のお隣になりますかねえ、新潟大学の医学部に安保先生っているんですよ。あんぼって書いてアボ先生ね。あとフクダミノル先生っていう先生がね、福島の二王子温泉かな。やってるんですけど。シリャク療法。針、指すんですよ。爪のはえ際に。痛いんだけれどね。そこの病院すごい成果出てるもんだから、混んじゃって。最近、東京でやってるんですけど。その先生たいはね、指先をなかなか患者さんが、なかなか病院に行けないんでね、自分たちで指もみ始めたの。すごい改善された。指こうでしょ。親指から。上からぎゅーっと。ゆっくり5秒とか10秒。白くなるぐらいまで。人差し指。薬指はねあんまりやらない方がいいんですよ。神経経路が違うって。これは男性が元気になるやつね。それで押した人は押してもいいんだけど、ボケ系統は関係ないな。ボケ系統って言うか、難病系はね。薬指は押さないと。こんな感じでやってください。すごい、いいです。あと、いろんなツボあるんですけど、できるだけ体をこすってあげることがとっても重要なんで、朝起きたら本当に乾布摩擦とかね、すごくいいんですね、あれはね。本当にいいんですからやってください。あとね、朝起きたらね、皆さんこう、顔がいつまでも若々しくするためには、顔の筋肉もストレッチしなきゃいけない。だから、びっくり顔に耳引っ張って私やってるんです。それで良かったら、朝起きたら鏡見て。人にはあまり見せない方がいいですよ。こう、顔思いっきり動かすの、こうやって。皆さんも一緒に。バカみたいに見えるけど。人には見せないでね。こうやるとぽかぽかしてくる、体が、顔が。目もこういう所をこうやって上げるの、ゆっくり。まゆげのところ、3カ所ね。端と、真ん中と、眉間に近いところと。これやると目がだんだん大きくなってくる。あれだね、顔とかこすって。こうやってると顔の筋肉の運動になりますから、これ若々しく保つ方法。あと、耳はツボがかなりあります。これも優しく、引っ張って。耳たぶのあたり、すごいですからツボが。元気のツボ。耳たぶも、あと耳自体もこうやって柔らかくして下さい。こうやって、最初のころ痛かったんですけど柔らかくなりましたよ。痛い人います? やっぱり、ちょっと痛いって言う人いると思いますけど、柔らかいほうがいいんですけど、これ朝やって下さい。体ぽかぽかしてきたでしょ、ね。これやっていただきたいと思います。あと、朝もう冷える、血圧が低い人っていう人、手を挙げて下さい。あんまりいないな、秋田はね。お母さんだけだよ。マットあります? マットあるね。マット用意しますから。係の人、来て下さい。マットを用意している間ね、皆さん、呼吸を普段ね、こうやって見てても分かるんですけど、ちょっと口開きながら聞いてる人いるんですよね。そういう人、口呼吸。でまあ、お子さんがね3人目誕生だけれどね、できれば、おしゃぶりは長くね、4歳とか5歳まで。あと、ハイハイを長くさせる。胸のあれも発達しますしね。鼻で呼吸するようになるんです。でね、できるだけ真面目な話ね、われわれはしゃべっちゃうから口開いちゃうんですけどね、鼻で呼吸してみてください。口閉じて、ちょっと皆さん、肛門閉じて。重要なんですよ、肛門。だんだん尿失禁の問題とか起きてくるでしょ、女の人とかはね。それでね、男の人も前立腺の問題ありますけど、ちょっと肛門ぎゅっと閉じて。口閉じて、鼻で呼吸。でね、鼻呼吸してください、できるだけ。鼻っていうのはね、加湿器の付いた空気清浄機ですから、これをやってると本当に良くなりますよ。口開いてるとね、全部雑菌が体の中に入っちゃうんですよ。だから、できるだけ子供なんかに昔の人は、口開けてるとバカみたいに見えるから、口閉じなさいって言ってたじゃないですか、最近言わなくなってきたもんね。やって下さいよ、口閉じて。お母さんも鼻で吸って鼻から吐くね。お腹へこまして、胸上げて、フー。呼吸はできるだけゆったりした方がいいです。ゆったり。これを続けてください。ぜひともやってください。それであと、あごのかみ合わせとか悪いじゃないですか。朝に起きて、ゆっくりこれやるとね、結構あごの調整自分でできますから。寝る時はできるだけ仰向けね、仰向け。もう、今日モデルの方いないから自分でやろうかな。じゃあ、しょうがないな。町長にやってもうらおうと思ったけど。町長に悪いからいいや。でね、寝る前にやっぱ腰とか痛くなるじゃないですか。あと、冷えは万病の元ですから、皆さん、できるだけ靴下、今日私も靴下2枚重ねて履いてるんですけど。裏表履いて、逆になってるね、これ。家ね、猫と犬がいるから毛が付いちゃうんですよ。これ反対だ、靴下がこりゃあ。これ、ちゃんとももひきも履いてきてるんだから。ももひきで笑われちゃったんですけど。秋田の人は履かないの? これ良いらしいですよ。綿とナイロンとポリウレタン、サイズ25センチ。これ張っておこう、ここにね。これ、やっぱり2枚重ねがいいんですって。こうやって。冷やすのが良くないんですよ。冷えは万病の元。猫灰だらけ、でね。
それで、やりますけど、寝る前に皆さんね、できるだけ伸びてね、思いっきり体伸ばしてください、寝る時。その後でですね、こう足を上げて、左右に振る。真面目にやってくださいよ、これをやってください。腰の調整ができますから。ゆっくりでいいですから。ちょっと難しいなと思う人はね、こういう感じでいいですよ、左右にね。これで骨の調整ができますから。あとは柔道の受け身みたいにですね、こうやってぎゅーっとストレッチをかけてやる。こっちもこうやって、ぎゅーっと伸びて。これを7、8回やってください。これやってから寝るとね、仰向けで寝れますから。例えば、右で寝てる人とかですね、頭って6キロとか7キロあるんですって、重さが。これずっとやってると、顔が変形してくるんです、何年もやってると。東大の西原先生っていう、家の事務所に所属してるんですけど、その先生が言ってますので。ずっとやってるとけんしょう炎とか起こしちゃう。腰の骨とか、ずれる。仰向けなって寝る。こっちやってると今度、心臓があるじゃないですか。心臓病の人はね、左を向いて寝ると非常に問題が起きるんです。あと、朝起きてですね、なかなか頭がすっきりしないとか。血液の流れが悪い人はね、ゴキブリ体操してください。拍手お願いします。これをやってください。すっきりしますから、本当に。ぜひとも。あとはね、肩こりとかね、肩こりの方いますか? 秋田も肩こりいるんですか? 肩こりの人はいいなと思うのが、ぼくは結構ね、てんつき体操。皆さんもちょっと立って下さい。足の具合の悪い人はね、座ったままでいいですけど。こうやって皆さんね、気持ちいいでしょ。良いんですよこれ結構。ひざ痛い人はあんまり深くやらないで。これやってください。あとね、瀬戸内寂静さんって知ってますか? 瀬戸内さんの健康法はですね、こういうふうに雨の日は表なかなか歩けないしね、40分かけて歩いたからお母さん元気ですけれど。あの、家の中でもいいんですよ、50回でこういう形で。皆さんもどうぞ。できるだけ足、上げてね。本当に鳥海町の人は素直でありがとうございます。これね、なかなかいいですから。長生きしますから。内蔵も丈夫になるしね。もう、ぜひとも続けていただきたいというふうに思います。
ということで、いつまでも元気でいたいもんですね。あまり迷惑かけないでね。本当に長くですね、本当に楽しく自分の1回だけの人生を、思いっ切りあっぱれに生きたいと思います。最後にですね、とっても大切な、ぼくの大好きな言葉があるんですけど、いくつかご紹介して、私の講演会とさせていただきます。終わったら皆さん、私が入り口で待ってますからね。じゃあ、あの音楽をかけてください。ぼくの大好きな言葉を、最後にご紹介します。いまの健康法、全部が全部じゃないですけどね、日経新聞というところから出してるんですけど、これ、いま台湾でも韓国でも、中国でも翻訳されて出てるんです。さあ、それでは大好きな言葉をご紹介いたしましょう。
ぼくの番組の中では、相田みつをさんの詩をよくご紹介しているんですけどね。こうありたいものです。
『ただ居るだけで』
あなたがそこにただいるだけで
その場の空気が明るくなる。
あなたがそこにただ居るだけで
みんなの心が安らぐ。
そんなあなたに私もなりたい。
今日も元気な女性が多いんですけど、
『女性の生き方』
10代は楽しく。
20代は美しく。
30代は強く。
何かみんな、ずっと強そうなまんまでございますけど、
40代は賢く。
50代は豊かに。
60代は健やかに。
70代は和やかに。
80代は愛らしく。
さらに優しく輝いて、心美しく生きましょう。
そしてぼくは、やはりね、どんなにお金があっても、家はそんなないですけども、バブル期に家買ってますから、まだ借金残ってますからね。だけど、やはりね、いい友達がいるってのはもう一番大切ですね、うん。やっぱりね、心からね語りあえるような仲間がいる人は幸せです。人は財産だと思いますから。そういう意味で年1度の年賀状はね、いま離れて暮らしていることが多いですから、大切にしてるんです。いただいた年賀状でいい言葉ですね、これは。
「喜べば、喜びごとが喜んで、喜び連れて喜び。腹立てれば、腹立つことが腹立てて、腹立つことつれて腹立てにく」
人間の運命を決めるのは、自分の心の中に張られた帆であって、風ではないです。自分で突き進んでいかなければならない。そしてぼくも一年間のですね、自分の動きはきちっとした言葉で書くようにしてます。
1998年、生島ヒロシカレンダー「新春超永久活断層状の日本」
時代が根本から変わりつつあることを実感。
春。毎朝3時30分起床。声だけで勝負するラジオの原点の元に、あらためて話すことの楽しさと難しさを発見することもある。
初夏。フランスへ行き、この目で見たワールドカップの舞台は生涯心の風景とて残るだろう。
夏。休暇で行ったモルジブは、さながら時の止まった緑の島だった。日本人の失っているたくさんの何かを思い出させてくれた。
秋。いつまで続くか分からない君の母の介護に義理の父の病気も加わり、老人介護に日本将来の不安を覚えつつ、いま本を書いています。2冊の本から勇気と感動をもらいました。『旅の続き』という本の著者、星野みちおさんから、アラスカを夢を追求する素晴らしさを。そして『五体不満足』の乙武洋匡君に会い、五体満足のぼくが居住まいを正して生きることを学んだ。
1999年新春。自分自身に残された時間を意識しつつ、これからの自分の人生の中の役割はなんなのかを考える。
翌年はですね、喪中のあいさつでした。人に迷惑をかけることを良しとしなかった義理の父らしくあっけなくこの世を去った。享年85歳。生涯現役が口癖だった父は、ガンで入院する前の日まで公認会計士として働き、男の夢を貫いた。人間というものは自分の死を予知することがあるのでしょうか。頑固でプライドの高かった人が退院した後は、介護する娘に一つ一つありがとうを言っていた。大正、昭和、平成と日本の高度経済成長を見つめ、バブル絶頂期。そして崩壊も味わい、この不景気も最低10年は続くと心配している。そんな父に一つ心残りが。2000年1月からテレビ朝日で始まる。義理の母のことを綴ったぼくの本『おばあちゃま壊れちゃったの』がドラマ化されるのを心待ちにしていたのに、見ることもなく逝ってしまった。しかし、ぼくたちにまだ義理の母の介護という責任ある本物のドラマが課せられている。2000年4月から始まる介護保険制度が本当の意味での良き幕開けになることを祈ってやまない。
今年度のあいさつはこうでした。21世紀に生島家は、すべてのリセットボタンを押した。いつまでも未見のわれに出会いたいをモットーに。「未見のわれ」って言うのは、まだ見ぬ自分っていうことですね。17歳の長男は春からイギリスへ留学。勉強が大変、大変といいながら電話をしてみると、いつもビリヤードの音。そして音楽の音。16歳の二男も高校入学後、すぐ休学。夏からアメリカへ。昼は勉強、夜はダンス。二人とも一人で生活をしてみて、家族の大切さ、学ぶことの楽しさ、いろいろな事件から、世界は一つだということを身をもって感じた。老後の資金は教育費に回ってしまったけども、それぞれの子供たちの夢を叶えさせてやりたい。そして、われわれは第2の新婚生活。妻は介護に目覚め、これは天職と公言。福祉施設の在宅介護ヘルパーをして、尊敬するマザーテレサを目指し、近所を駆け巡っている。その上、90歳になる義理の母の介護、水泳、調理師養成学校とエネルギッシュ。家長のぼくはと言えば、早朝のラジオにテレビに悪戦苦闘。でも、メディアのおもしろさを体感中。本も4冊出版した。人生の坂道は急勾配で、背負う荷物は増える一方。しかし、どっこい生きてやるという根性で乗り切っています。今年も心の健康、体の健康、もう一つおまけに財布の健康をモットーに、コツコツ一歩ずつ歩んでいきたいと思います。
最後にですね、本当に皆さんもそうだと思いますけど、ぼくも今日は先ほどね、町長さんからも、「わざわざ遠い所から来ていただいてありがとうございました」と。ありがとう、そしてごめんなさいという言葉をですね、1秒で言えるね。1秒で言える言葉の数々というのは以外に、われわれにとっても、とても重要な言葉かもしれません。そういう言葉を最後にご紹介して、終わりにさせていただきたいと思います。
「初めまして」この1秒ほどの短い言葉に一生のときめきを感じることがある。「ありがとう」この1秒ほどの短い言葉に、人の優しさを知ることがある。「頑張って」この1秒ほどの短い言葉で、勇気がよみがえってくることがある。「おめでとう」この1秒ほどの短い言葉で、幸せにあふれることがある。「ごめんなさい」この1秒ほどの短い言葉に人の弱さを見ることがある。「さよなら」この1秒ほどの短い言葉が、一生の別れになることがある。1秒に喜ぶ、1秒に泣く。一生懸命1秒。1秒の積み重ねがですね、一生ということになるわけです。まあ1秒1秒なんか、知らないうちに経ってしまいましたけど、こういう一つ一つを大切にしていくことによって、人生も充実していくのではないかというふうに思います。 本当に初めて鳥海町を訪問させていただきました。あいにくの天気でありましたけれども、こんなに多くのみなさんにお越しをいただいて感謝感激、雨あられでございます。ありがとうございました。
それで、ラジオを聞いたことがない方は、できれば秋田放送さんの5時30分。それから明日、テレビでですね、テレビ朝日系列の午前10時30分からですけどね、「目からうろこの薬学」っていうのがあってね、これなかなか薬の効用について、エアロビクスの大会で1位になった糖尿病の男の子がいるんですね。この子が薬を使いながら頑張っている姿とか出てまいりすので、ぜひともご覧いただければと思います。それではこの後は、今日のおみやげにサイン会も行いますので、どうもみなさん本当にありがとうございました。 |